2019年12月12日木曜日

Vol.3 母乳か 粉ミルクか それが問題だ。その②


前回のつづき。
母乳に悪戦苦闘する私、ママモニカ。
そんな日々の中でふと、ツイッターのタイムラインに流れてきた情報で気づく。



・・・嗚呼、私ディーマー(DMeR)だったんだ!!

ホルモンの凸凹は勿論、振り返ってみると母乳に関してこれまで一切ハッピーと思えるどころかトラウマ級な思い出しかない事を改めて実感した。

特に産後の入院2日目のこと。

帝王切開は術後1日目よりも2日目が痛みとの勝負。。。にも関わらず
担当になっていた看護師が控えめに言って最低だった。
オデブの歩くだけで鼻息荒い汗だくな仕事できない看護師のオバちゃん・・・

その彼女に「ほら母乳!出して出して!」と
引きちぎれるくらい乳首をぎゅううううおおおおっと指でつねられて、
帝王切開も怖がらず、痛み止めも最小限で術後も乗り越えた
我慢強い私も、あの時ばかりは本気で泣いた。

プライバシーの侵害にも程がある。
こんなことされるなんて聞いてないし、心の準備もできぬまま、
術後の痛みと寝不足と2時間おきにミルクを求めてくる我が子を横目に

巨漢の看護師に乳首をつねられる。
つねられている時、顔を近づけてその鼻息の荒さと汗が私の頬で感じ取れる位。


私・・・レイプでもされてるんじゃないだろうか。


痛い。
気持ち悪い。


完全にトラウマになりました。


それ以降は、搾乳するたびに号泣していたし、
母乳の話すらしたくなかったので、
自分でもオカシイなどうしちゃったんだろうって思っていたから、
ディーマーという理由が分かってある意味、納得がいった。
理由がわかれば解決策を見出せる。


● ● ●


私の母乳とハッピーに向き合う努力をする日々が始まった。


ディーマーはもう症状も期間も人それぞれなので、特効薬はないのだけれど、
私が取り組んだ中で最も効果的だったのが、


搾乳時間をご褒美だと認識させる


という策だった。
私の場合、単純に・・・
搾乳の時間をソーシャルメディアや動画を観る時間に当てた。というもの。
「搾乳=楽しい時間!」と脳にインプットさせたのだ。


これが正に効果テキメン!!
産後2ヶ月にしにて、なんとかディーマーを克服しつつある。


ひとつのことが解決できると自信もついて
少しずつ歯車もいい方向に回り始めてゆく。


こうして書くととても短い期間のように感じるし
なんでこんなに深刻に苦悩してもがいていたんだろうと思うけれど、
当時は地獄のような日々だった。
でも、ささいなきっかけで、物事が育児が好転してゆく様も
身をもって感じる事ができた。

因みに今のところ

母乳9割、粉ミルク1割のペースで授乳できている。


育児って「初めて」のことだらけの日々。
でも、この経験を糧にこれからの「初めて」や「悩み」も
ミニモニと一緒に乗り越えてゆきたい。


さぁ、ミニモニお風呂に入れてきます!では!


2019年12月8日日曜日

Vol.2 母乳か 粉ミルクか それが問題だ。その①



母乳・・・それは、女を母にし、母を牛にする
ある意味で呪いのような魔法のミルクである。


● ● ●

産後に一番奮闘したのが、「母乳」だった。これは本当に予想外。
なぜか私は、妊娠中に「私は母乳はでないタイプ」と決め付けているところがあって。
だって自他共に認める貧乳中の貧乳。それに、産後にすぐ職場復帰したいから、母乳育児なんて手間がかかりすぎるでしょ!粉ミルク万歳!位に思っていた。

しっかし、
産後・・・わぉ。胸がパンパン!爆発しそう!母乳・・・でるジャン!!


そうなってくると、周りはやっぱり「母乳あげられるうちはあげましょう!」
・・・という結論に至ってくるワケで。
今考えるとそりゃ当たり前でしょ・・・と思うことが、なぜかあの時は「私は私のやり方を変えたくないの!」と頑なに粉ミルクコースへ行こうとしていた私。
旦那にも「なんでそんなに母乳欲しがってるミニモニ(娘)を拒否するんだ!?」と凄く不安がられた。

更に、ミニモニは乳首にうまくパクッとラッチ(咥える)してくれない。
ミニモニの小さい口と私の乳首の形の相性が悪く、助産師さんのアドバイスを受けながらの病室での練習の日々。に平行して、搾乳機でミルク絞りたおして哺乳瓶であげて・・・それこそ二度手間三度手間でもう時間も労力もかかって仕方なかった。


帝王切開後の痛みと戦いながらも2時間おきの授乳に上乗せでの特訓。
ハッキリ言おう。


記憶を葬りたいほど、超絶・・・辛かった。


だから色んな理由をつけて「粉ミルク」にしたかったっていうのもあるのかもしれない。
退院後も「母乳」をあげて欲しい旦那と「粉ミルク」にしたい私の言い合いは耐えなかった。


そして遂に発せられた超絶NGワード!!



「お前は、母親失格だ。」




・・・これは響いた。こんなにミニモニを愛しているのに、母乳を与える努力をしないだけで、母親失格扱いされる。己の睡眠も食事もままならない中で浴びせられたこの言葉は強烈だったけれど、負けず嫌いな私の魂に火をつけた。

というかある意味、やけくそだった。コイツ(旦那)を黙らせたければ、結果を出すしかない。と思ったからだよね。


● ● ●


夫婦仲が新生児育児の中で崩壊していくのって今なら痛いほど分かる。
体力、精神力、忍耐力とともに極限に達しながらの共同作業だもの。
まあ、その配分もワンオペになりがちだから揉めたりもするんでしょうが・・・


私と旦那は言い合いに言い合いを重ねて15年以上一緒に成長してきた仲だからこそ、
どんだけ罵倒しようがされようが「別れる」なんて選択肢これっぽっちもなく
関係性を維持できたけれどコレは結婚生活よりハードル高いよ。


話は逸れたけれど、
それからは乳首咥える練習と搾乳、搾乳、搾乳の日々。


そして、
ある時、ようやく気づけた。


嗚呼、私・・・「ディーマー」だったんだ!!



つづく。


2019年11月27日水曜日

Vol.1 そして、母になる。


こんにちは赤ちゃん!と言ってからちょうど2ヶ月。やっとこうしてブログを少しずつ書けるほどの所まで来る事が出来た。1日が1日が未だかつてないほどの重みを持っていた2ヶ月だった。

● ● ●

自分の子供を腕に抱きしめた日、「こんにちは赤ちゃん!」と言うよりも私から出た第一声は「あら、本当にいたのね!」だった・・・笑。そんな私が常々思うのは、

私は「きゃあぁぁぁあああ我が子可愛いィィぃぃいいい」的ハイテンションな母親でもなければ、泣き声が聞こえればババっとゆりかごに駆け寄りいちいちグーグル先生に検索しまくるナーバスな母親でもない。

私という生き物に+小さな生き物が付いた。という感覚で最初の1ヶ月は生きていた。

これには本当の所、自分でもちょっと驚いてしまった。「母親」という名称は、子供が生まれてからすぐに付く。でも、その「母親」という生き物は一体どこから現れるんだろう。

● ● ●

「母性」がないわけではない。
オーストラリアでの海外在住を始めてから保育士歴も10年。今まで何百という子供をありったけの情熱と母性で愛してきた。

周りからも「モニカはいいお母さんになるよ」と散々言われてきた。そしてなんとなく、赤ちゃんが生まれれば、がっつりとその母親の世界に自分が心身ともに浸ることになると思い込んでいた。

それなのにいつまで経っても私の内なる「母親」は現れない。それに反して初めてのことばかりで状況に必死に追いついてゆく日々。ハッキリ言って困惑している余裕すらない。「実感」がないわけでもない。だって腕に抱く我が子は想像以上にリアル。身体能力面での育児は1日目からスパルタ。

カラダとココロに課せられた「母親」が枝分かれしてゆく感じがあった。

● ● ●

そして2ヶ月経って思う。
そうか、「母親」ってだんだんと出来上がってゆくものなんだ。
こんな責任重大な大役に1日で到達出来るはずがなかったんだ。


新しく輝く小さな命と私の間に育まれてゆく絆。
この絆が私を「母親」にしていってくれる。
そう。この今正にこの1日1日を重ねて

そして、私は「お母さん」になるんだ。


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私「ママモニカ」と娘「ミニモニ」の日々。
不定期更新ですが、楽しんでいただければ幸いです。